神頼み

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昔からネットを使っていて、友人たちのPCやネットの駆け込み寺となっていたこともあって、周囲からはデジタルを重んじる合理主義者と見られているようだ。そのためか、厄年とか方位とか直感を大事にする、という話をすると意外だという反応が多い。
私自身は毎年必ずお札をお願いしているし、厄除けや方位よけはしっかりと行っている。
科学で何でも解明できればそれに越したことはないわけだが、そんなことはないというのが私の信念。昔から続いている習慣や風習というのは千数年の歴史の中で取捨選択されてきたもので、何らかの意味が絶対にあると信じている。
厄年なども数年前までは「意味のない迷信」とされてきたが、昨今の人体に関する研究の結果、日本人の体はだいたい厄年くらいに大きく身体的な変化を迎えることが実証されつつある。厄除けは自分の生活を見直すための一つの習わしだったということが科学的にも証明されつつあるといっても良い。

私の中でパソコンにウイルスバスターをインストールすることと自動車に自動車保険をかけることとお札を毎年きちんと改めるのは同じ感覚なのである。
ありとあらゆる対策をきちんと取っていても何があるかわからないのが日々の生活であって、たかだか数千円で心身の安寧が得られるのであれば安いと思っているし、そうした神懸かり的な部分できちんと守りが得られるのであれば積極的に動こうと思っている。ただ、それは信仰心のようなものとは関係なく、だから私は特定宗派の信者になることはない。

このコンピュータ時代に迷信だと笑われたとしても私はこうしたことはしっかりとしなければならないと固く信じている。だから、ニフティ社長・古河氏の磐井神社という記事に深く同意するとともに感銘を受けた。

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