イラクの誘拐事件から”市民”活動家について考える

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いろいろなところで話題になっているので今更感もありますが、私も思うところを書いておきたいと思います。

今回の問題ですが、まず一義的には本人たちが悪いということはきちんとしておかないといけないと思います。外務省から避難勧告の出ている地域であり、治安が悪化している場所では自分の身は自分で守らなければならないのは当然です。今回、誘拐犯の主張が「日本政府は3日以内に身代金を支払え」だったら果たして、どうだったでしょうか?それでも”市民”活動家の皆様方は「日本政府がイラクへ自衛隊を派遣するからこういう事態が起こったんだ」というつもりなのでしょうか。
彼らが誘拐されたことの是非と自衛隊派遣の是非を取り混ぜてはいけないはずなのにそこを混同してしまうから一部の”市民”活動家のみが盛り上がり、庶民はみんなしらけていたのだということに早く気がつくべきです。

いわゆる市民運動がいまいち草の根的な広がりを見せないのは、こうした思想の混同を至るところで見せてしまうことにあるのだと私は考えます。

以前、薬害エイズに対する運動が盛り上がったとき、被害者は厚生省(当時)や製薬会社自体の罪のみを追求していれば良かったのにその運動を「アンチ政府」「アンチ国家権力」へすり替えてしまいました。それによって世論の盛り上がりは一気にしぼみ、某被告の裁判が公判停止になっても憤るのは「薬害エイズ被害者」という看板を抱えた”市民”活動家のみで、日本中がその気持ちに同意した大きなうねりとなることはなかったのです。

昔はそうではなかったのかもしれませんが、いまの庶民はそうした論理のすり替えに非常に鋭くなっています。論理のすり替えが起こったとたん、庶民は波が引くように一気に引いていきます。それだけ庶民が賢くなっているのだということに気がつかなければ、市民運動や労働運動の未来は真っ暗でしょう。

彼らはまず日本国民に対して謝罪するべきです。そして、日本政府に感謝するべきです。さらに自衛隊のイラク派兵に関していっさい語ってはいけません。日本政府を批判し、自衛隊が派兵されたことを自分たちが誘拐された原因としてしまう発言がたった一言でもあれば、庶民はあきれはてしらけるでしょう。そして、イラクの派兵に関する議論が一気にしぼみます。自分たちの主張を通したいのであれば、むしろ黙しているべきです。敵であるはずの政府を持ち上げ、感謝することで逆に問題が浮き彫りになると私は思います。

自分たちの主張を通したいのであれば本心とは逆のことをいわなければならないこともあるのです。それが社会生活であり、庶民の常識です。自分の素直な気持ちを伝え続け、純粋な言葉だけを語ってさえいれば、人が動くという甘っちょろい考えは捨てるべき時期に来ていると思いますよ、”市民”活動家の皆様方。